匿名さん[2011-09-08 12:38:23]
本文は、お坊さんとお弟子さん(在家も含む)の対話です。人間の生き方や道徳性に関して示唆に富んでおり、子供達の心を富ませ、豊かにし、潤いを与え、実人生の全体に渡って、良き教科書となってくれるはずです。私の子供時代や青年時代にかけて家庭や学校はおろか、友人関係においてさえ、このような会話は交わされたことが無く、その結果、私の人生の前半は、苦しく、ダークなものになりましたが、今、学生期を送っている子達
には、そのような苦しみを味わってほしくないので、この対話をコピーしてみました。学校教育の道徳のネタとしても、最善のものだと思いますし、教師の方々が有効に活用してくださるなら幸いです。それにしても本来、人生の初期の段階で親から子へと語り継がれるべき事柄が、一言も会話の中に見出せなかった我が家の不幸には絶句する以外ありませんが、これがほとんどの日本の一般家庭の傾向だとすると、今の国内の様々なトラブルや災いも、充分納得でき、同時に次世代への教育の責任の重大さも大人なら肝に命じなけ
ればならないことだと思います。子供達が大きくなったときに、「あの時学校で教わった、あの教えで人生救われた」と言われるように、今、私たち大人が様々な工夫を重ねて、教育を本来あるべき姿にしていく必要があると思います。お子さんや生徒さんが悩んでいるような時にコピーして渡してあげると、何か問題解決の糸口になるかも知れません。
質問者 私の夫は、法外な利息で借りたお金で事業を始めたのですが、事業は失敗に終わり、借金の返済ために自分たちの土地を売り、さらに私の宝石まで質に入れました。結局、宝石は取り戻すことができず、競売にかけられてしまい、借金取りの催促を逃れ、家も売って別の住まいを借りました。今ではその家賃をお金さえありません。どうしたらよいでしょうか。
老師 火のある所に煙が立つように、欲望のある所には悲しみがあるものです。ちょうど太陽とその熱のようにです。あなたたちは贅沢な暮らしを望んで、大きな事業を始めた。それがあなたたちの苦難の原因となったのです。自分が持っている物で足ることを知っていたなら、今は何の問題もなかったでしょう。人生には喜びと悲しみがちりばめられているのものです。幸福なだけの人生も不幸なだけの人生もありはしません。物事にはすべて、時期というものがあるのです。人生のある時期には、手がけることのすべてのが失敗に終わります。そういうことが起こった時、気を落としていても仕方ないのです。しっかりと前を向いて前進することです。少なくとも、今のあなたたちには健康な身体があるのですから、生きるために働けるでしょう。隅っこにうずくまって泣いている場合ではないのです。そんなことは時間の無駄ですし、健康を害するだけです。済んでしまったことをいつまでも悲しんでいてはだめです。過ぎたことを思い出して嘆き悲しむのは、死体に添寝するようなものです。転んだら、また立ち上がって熱意をもって前へと進みなさい。転倒は、もっと注意深くなるために起きたことだと考えてください。過去は使用済みの小切手だと思ってください。それをくよくよ思い煩うのは無意味なことです。ただしゃがみ込んで傷口の心配をしているだけでは何にもならない、傷口にはできるだけ早く薬を塗らなければならないでしょう。誰もが手ぶらでこの世に来て、何も持たずにこの世を去る。私たちはここで何かを得て、そして失う。ただそれだけのことです。これが物事の本質であると認識すれば、あれこれと思い悩んで、気力を失ってしまうこともないはずです。心の平安こそが真の財産。それこそが真に守るべき財産なのです。
質問者 老師、善からぬ思いが次々と湧いて来て、それに煩わされ、心の集中ができないのですが、何か良い方法はありますか。
老師 心は思考の寄せ集めに過ぎないのです。悪い思いが出てくるのは、それがもう消えるべき時にあるのだと考えてください。ただ、そういった思いに巻き込まれないように気をつけることです。バスで旅をしていると、途中で素敵な家や可愛らしい花々、美しい庭など、魅力的なものをたくさん目にするけれど、私たちはそれらとは関わりを持たずに、ただ通り過ぎるだけでしょう。それが目的地ではないからです。心をよぎる思いを、そのように観ることを私たちは学ばなければなりません。ただ観るだけにとどめて、それらと関係を持ったり、固執したりしてはならない。岸辺に立って、河の流れを眺めることはできるし、河を眺めるのは楽しいことですよね。でも、もし河に飛び込んだら、すぐに力尽きてしまう。思いが心を通り過ぎるとき、傍観者として、一歩さがって眺める能力を培ってください。それがあなたの心を強くします。
ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳
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