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[新規] 道徳授業の教材に。お金との適切な距離



匿名さん[2011-09-08 12:42:20]
質問者 老師、何人もの人が私のことを、ただお金があるというだけで憎んでいるのです。裕福であってはいけないのでしょうか。
老師  お金があるということは何も悪いことではありません。ただし、人生の目的は単に財を蓄えることではないのだから、必要に応じて貯蓄するのは構わないのですが、それも度を越すようではいけないのです。こんな話しがあります。ある村に傘職人がいました。彼は稼いだ分だけで満足に暮らし、誰からも好かれ、そして日々の必要を満たすための充分な稼ぎもありました。ところがある日、ある地主が傘を買いにきて、見事なでき栄えと手頃な価格に満足し、その職人に特別な関心を寄せました。職人の善良な性格にも惹かれた地主は、贈り物として幾らかのお金を傘職人に与えました。ところが、お金を手にした途端に職人の性格は変わってしまったのです。彼の心はもはや仕事に集中できなくなってしまいました。「どうやって、このお金を守ればよいのだろう?家に置いておいても大丈夫だろうか?いや、盗まれはしないだろうか?」と心配し始めたからです。手にしたお金への心配が次々と湧き上がってくるので、仕事も期日どおりに仕上がらなくなってしまいました。なぜなら、彼の思いは将来の計画のことにあったからです。「新しい家を建てようか、それとも大きな事業を始めるべきだろうか?」、そんなことばかり考えていたので、彼は仕事に身が入らなくなってしまったのです。職人は愛をもって話す術を忘れてしまったので、もはや誰とも話そうとしませんでした。誰かに何かを尋ねられると、いつも苛々しました。なぜなら、考えごとの邪魔をされたからです。次第に客足も遠のき、収入は減る一方でした。お金への思いが彼の心の平安を奪い取ってしまったのです。欲望と利己心が増すにつれ、彼は落ち着きをなくして憂鬱になっていきました。贈り物としてもらったお金も、じきに底をつき、仕事もなくなってしまいました。お金を手にする前には満ち足りた人生を送っていた男が、今となっては苦悩ばかりを抱えることになってしまったのです。何事も度を越すと、平安に終止符を打つことになってしまうのです。だから、いつも質素に生きようと努めてください。心の平安を得るには、それで充分です。どんなものも、余分にはいらないのです。



ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳

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