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[新規] 道徳授業の教材に 同情と慈愛



匿名さん[2011-09-08 12:53:05]
質問者 老師、真の慈愛とは何でしょうか。
老師  真の慈愛とは、その人の内に潜む愛を見抜く力です。その力のあるものだけが、真に他者を助け、成長させることができます。質問者 愛とは何でしょうか。
老師 肉体と心を超越した力、外見を超越した何かです。
質問者 それでは老師、同情と慈愛の違いは何でしょうか。
老師  慈愛は真の教師から受け取る本当の援助です。真の教師はその人の内面の超越したものを見ています。したがってその援助は的確です。同情は周囲の人から受ける一時的な助けです。物事の表面しか見えない状態で行う助けですから、本当にその人のためになるかどうかはわかりません。慈愛は、その人に対する深い観察と理解から必要なことを適切に援助しますが、同情は表面的なものです。
質問者 どうやって区別すればいいのでしょうか。
老師  難しいです。たとえ話で説明しましょう。ある人が手術をしました。手術後ニ、三日たって、執刀した外科医が患者にベッドから降りて歩くよう指示しました。これまで多くの患者を診た経験で、そうしたほうがいいと知っているからです。患者が嫌がっても、医者は半ば強制的に患者に歩いてみるよう言います。しかし、患者の親戚や友人は、それを見ていてこう思います。「なんてひどい医者だ。本人が嫌がっているのに、どうして無理矢理歩かせようとするんだ。ひどすぎる。」このような親戚や友人の態度を同情と言います。医者の取った態度が慈愛なのです。両者のうち、真に患者を助けているのはどちらでしょう。医者でしょうか近親者でしょうか。あるいは患者が、こう思ったらどうでしょう。「この医者は役立たずだ。そもそも私に指示を出すなんて、何様だと思ってるんだ。私について何を知っているというんだ。勝手にしゃべらせておけばいい。聞く耳は持たないよ」こんな態度は自分のためにな
るはずがありません。
質問者 同情は人を傷つけるのですか。
老師  もし私たちが、その人の置かれた状況を細部まで知らないで、またその人が何を考えているのかを理解することなく、生半可な理解で同情したりしたら、その人を傷つけることになるでしょう。その人も、他者が同情して言ってくれるアドバイスにとらわれすぎると危険です。強迫観念にまで発展してしまうこともありえます。自分の周囲を同情の言葉で取り囲んで、繭のように安全な世界の中に入り込んでしまう。そうなると、判断力が正常に働かなくなります。その中で安住していればそれなりの満足感はあるかもしれませんが、そこから出る努力、自分の問題を打開する努力をしなくなる。さらに闇の奥深くに入っていきかねません。
質問者 「繭のような世界」とはどういう意味でしょうか。
老師   自分自身の深奥をしっかりと見る力、本当に起こっていることを見抜く力を失うことです。他者の言うことにとらわれすぎて、自分が持っている物事を識別する力を使わない。自分で判断する努力をしないで、人を信じてしまう。同情はその人が抱える問題の根源的意味を考えないで、表円的な部分のみ見て注ぐ愛情です。慈愛は、問題の根源を理解して的確な対処法を教える愛情なのです。



ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳

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