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[新規] 道徳授業の教材に なぜ戦争があるのか



匿名さん[2011-09-08 13:04:01]
質問者 老師,なぜこんなにも多くの戦争と暴力があるのでしょうか。
老師  理解の欠如のためです。
質問者 何に対する理解の欠如なのですか。
老師  慈悲に欠けることです。
質問者 慈悲とは何なのですか。
老師  慈とは人や動植物(他者)を慈しみ、楽を与えることです。悲とは、他者の悲しみを知り、その苦しみを抜いてあげることです。
質問者 理解と慈悲とは関係しているのですか。
老師  本当の理解が生じるとき、他者に配慮するとはどういうことかが分ります。その人の弱さを手助けすることで助けてあげることです。そうすることで愛が育っていきます。純粋な愛が育つと、慈悲もまた開かれていきます。
質問者 老師が、野心や利己心は戦争と闘争の根源だとおっしゃったのを聞きました。
老師  そのとおりです。未熟な利己心と理解の欠如は、ほとんど同じことです。たくさんの言葉が使われていますが、基本的にはすべて同じことを意味しています。人間が内なる愛とのコンタクトを失い、利己心と自分とを同一視すると、暴力と戦争だけになります。これが今世界で起きていることです。
質問者 それは人々があまりにも外側の世界を重視しているという意味でしょうか。
老師  文明と愛、慈悲は、互いに手と手を取り合っていくべきものです。でも、この社会はどうでしょう。精神性、道徳的価値は急速に衰退しています。闘争と戦争は存在の最低の特質であり、最高の特質は愛と慈悲です。現在の世界は次のようなものです。非常に狭い道を想像してみてください。そこで二台の車が出会ったら、まず互いにブレーキをかけます。すれちがうときは、片方がバックして道をゆずらなかったなら、両方とも先に進むことができません。そんなとき、絶対に動いてやるものかとかたくなに主張してブレーキをふんだままでいたなら、状況は固定したまま前に進みません。いくぶんかの謙虚さと、他者に道をゆずろうという気持ちがあることによってのみ、解決されます。両方が目的地まで行くことができるのです。道をゆずる人は自分が目的地に進めるとともに、相手もスムーズにいけるという喜びを味わうこともできます。



ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳 

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