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[新規] 道徳授業の教材に 富を持つことの危なさ



匿名さん[2011-09-08 13:10:13]
老師  こんな話があります。「かつて、インドに一人の金持ちがいました。ある日、数人の友人が彼に会いにやって来ると、家の外に召使いがいたので、主人はどこにいるのかと尋ねました。召使いは中に入って主人を探して戻ってくると、「ご主人様は今、石ころを数えているところです。」と告げました。友人たちは、「あれほどの資産家が石ころを数えているだって!」と言って不思議がりました。ほどなく金持ちが姿を現したので、友人たちがそのことを尋ねると、金持ちは応え、「お金を数えていたのさ。それを石ころと見間違えるほど、あの召使いは愚か者だったのか。まあ、とにかく余計な心配をさせてすまなかった」と言いました。そして友人が帰った後で、召使いを厳しく叱りつけました。数日後、また別の友人がやって来て、召使いに主人を呼んで欲しいと頼むと、召使いは屋敷の中を探してから、「ご主人様は今、敵を愛しておられますよ」と報告しました。実際には、主人はお金を数えていて、それを金庫にしまっているところだったのです。金持ちは、あからさまに自分を侮辱した召使いの無礼さに激怒し、さんざん打ち据えた後、首にしてしまいました。「もしもお前よりも愚かな者に出会ったら、そいつにこれをくれてやるといいさ!」と言い捨て、人形を召使いに押し付けました。召使いは黙って立ち去りました。それから数ヶ月が経ったある夜、その金持ちの家に強盗が入りました。強盗は抵抗する金持ちを最上階の窓から突き落とし、有り金残らず奪って逃げました。次の朝、親戚の者たちが家の前の地面に倒れ伏している金持ちを見つけました。彼は一人で起き上がることもできませんでした。ありとあらゆる治療法が施されたにもかかわらず、その容態は一向に良くならず、やがて財も使い果たし、そのために妻や子供たちにも逃げられてしまいました。男は痛みに苦しみましたが、世話をする人は一人もいなくなり、家には食べる物もなくなり、近所の人が恵んでくれる物なら、何でも食べました。主人の災難を伝え聞いて、以前の召使いが見舞いに駆けつけ、挨拶もそこそこに、例の人形をもとの主人に差し出しました。主人は自らの愚かさに気づきながらも、「どうしてお前は傷口に塩を塗るような真似をするのか?」と文句を言いました。もと召使いはそれに応え、「いくら何でも、今は私の言ったことの真意を理解していますよね。あなたの蓄えたお金は、今となっては石ころも同然。あなたの財産は、実はあなたの敵だったのではありませんか?あなたの財産がこのような状況をもたらしたのです。その富のせいで、何もかもを失ったのではありませんか?そのような富を愛の対象としていた、あなた以上に愚かな者が誰か他にいるでしょうか?今まであなたを愛していた者たちは、実際にはあなたではなく、あなたの財産を愛していたのですよ。あなたが無一文になったとき、彼らにとってあなたは死んだも同然でした。今では、誰もあなたを愛してはくれません。今こそ愛と慈悲である神が唯一の変わらぬ友であることを悟るべきです。神に拠り所を求めなさい!」と言いました。召使いは寛大な愛をもってかつての主人の看病を始めると、男は後悔の思いでいっぱいになり、「私は一体どうしたらよいのだろう?今までの人生はただの徒労にすぎなかった。妻子や財産がいつまでも側にあるとばかり思っていて、そのためにだけ生きてきた。神のことなど一瞬たりとも想うことはなかった。今や、すべてを失い、恭しく頭を下げていた者たちも、もはや私を見ようともしない。それどころか、軽蔑して唾を吐きかけようとさえする」と言いました。召使いは主人を慰め、「誰も面倒を見てくれないなどと思わないでください。神があなたとともにいてくださいますからね。」と言って、かつての主人の家にとどまって、看病を続けました。


ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳 

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No,1料理人さん[2011-09-09 09:13:22]
道徳教育に必要なのは個人の考える能力です
聞きかじった人の話を垂れ流すことではないですね☆

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