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[新規] 教育への提言  教育者の方へ



匿名さん[2011-09-23 14:14:53]
学びの道を進むために必要な修養が余り行なわれていないと思います。自制、清廉、正義、正直のような徳性は、本来人間としての特質であるべきものです。それなのに、これらの徳性が学校の中にありません。義務を進んで行い、何よりも公的な善を大切にしようとする気高い理念が欠けています。学生たちはただ、「無節操な読物を盲目的に模倣すること、事故宣伝癖、過度な快楽追求」という病的な欲望に取り憑かれています。

今日、私たちは、人々の調和、自然な愛、協力という徳性を培わなければなりません。他の人々に奉仕したいという願望を育て、彼らにより良く奉仕するために、教育を通して必要な技能を身に付けるべきです。
教育は学生たちに、貴重な日本の文化と道徳的伝統を理解させ、彼ら自身が備えている次元の高い様々な能力を呼び覚まさせ、それに熱中させるものでなければなりません。彼らは自分たちの中に汲めども尽きない力の泉があるにもかかわらず、ひ弱で無知な人間のように振る舞っています。心の中に、忍耐、寛容、落ち着き、穏やかさを植え付けなければなりません。忍耐とは、真実、正しい行動、正しい生活、愛と非暴力という、全ての徳が一つに結晶したものです。
教育は謙虚さと自制心を養わなければなりません。しかしながら、今日の教育はプライドと妬みを生産しています。教育は光を放ち、心と知性の中の暗い部分を明るく照らすものでなければなりません。それは単なる書物による知識を意味しているのではありません。教育は人間どうしの類似性や、人間と自然との密接な関係を明らかにするものでなければなりません。それは、教育を受ける人の、過去の経験と現在の経験とを融合させ、将来において、その人を有益な経験へと導くものでなければなりません。教育は書物から得た知識を、このような経験によって確認し、そのプロセスによって、人間をますます人道にかなった存在に仕立て上げ、ついには無私の愛に到達せしめるものでなければなりません。現代の教育カリキュラムの中には、この必要不可欠な教えが欠如しています。人々は、喜びと平安に満ちた生活を送る秘訣を知らずに長い年月を過ごしてしまいます。現代においては、教育を受けた人の方が、教育を受けていない人よりも大きな不満を持っています。ところが実は、教育を受けた人の方が、穏やかで、心の波を立てることが少ないのが本当です。

道徳の教えは子供たちに将来どんな人間になるべきかとか、なぜそうなるべきかを教えるものです。
若い女性は将来子供の母となり、子供にとっては母親がこの世の中で最初の先生となります。彼女たちが道徳的なものを充分理解し、性格的にも良い人間であることは、次の世代を教育する場合、重要なことです。
太古から日本の文化は、全ての者が幸せであることが真実であると信じられてきました。真の学識は、絶え間ない苦しみから解放をもたらすものです。それゆえ、人々は生計を立てて行くための知識の外に、まだ若く感受性の強い年齢から、どのように人格形成すべきかの真の知識を学習することが必要です。
真の教育は、子供たちに、真実、正義、平安、愛、調和の重要性と、年上の人と先生に対する敬意、社会への奉仕の大切さを繰り返し説く。そして全ての価値ある思想と、全ての人々を愛することを強く教え聞かせるものでなければなりません。子供たちは幼い頃から肉体を道徳的に護る(性道徳など)ことを教えられ、規律ある生活をするように躾けられなければなりません。なぜなら肉体は純粋な愛が住まう場所だからです。
今日の教育制度は、教育を受けた人々を利己的にします。それは人を感覚の奴隷にし、その結果人間は自分自身の愛を忘れてしまいます。
教育は、正邪善悪を識別する力を育てるために活用されるべきです。識別力を持たない人間は動物にも劣ります。
今日の教育は書物の内容を頭に詰め込み、試験場でそれを注ぎ出して頭を空にして帰って来るプロセスです。
人格のない教育、人間性のない科学、道徳のない経済活動は役に立たないばかりでなく、明らかに有害です。
現代の教育制度は、国家的教育であるとして賞賛されていますが、実際には国家に害を及ぼすものでしかありません。
教育機関は、学生たちの間に、道徳的人生観を普及させるものでなければなりません。学生たちが道徳的価値観を身に付ければ、人間的価値観がおのずから育ちます。人間的な価値観は、外から植え付けられる類のものではありません。それは、一人一人の内にあるものです。それは内から顕現されなければなりません。
教育機関は、学生たちに、真実に従うことを教え、また、自分たちに課せられた任務を公的な義務として遂行することを教えなければなりません。
教育機関は、誠実さと人格と自信を備えた学生たちを育てることに力を入れるべきです。知識の育成は二義的なことです。
教育の目的は人格です。ここで言う人格とは、利己的な欲望を進んで手放そうとする心によって成り立っている徳性のことです。
教育の結果、人々の感性が浄化されなければなりません。それは良いことをしたいという道徳的衝動と無私の愛に近ずきたいという精神的衝動を養い、その両者を統合し、立派な人格を確立するものでなければなりません。
教育の究極の目的は人格であり、知識の究極の目的は無私の愛です。教育とは、ただ単に、書物の知識や、書物に親しむことではありません。もし、私たちが、実際の応用面を無視して、書物による知識のみに重きを置くとすれば、教育という名前そのものを汚していることになります。
教育は人を謙虚にするものでなければなりません。そして、その謙虚さが様々な適性をもたらす結果になるのです。その適性は、必要な物質的富を与え、その富によって何らかの慈善行為ができるようになります。慈善の行いは、それに携わる人を、現在において幸せにし、また将来の幸福をも約束します。
教育が真実と無私の愛と尊敬の中で発展するときにのみ、国家は繁栄し、幸福であることができます。
新しいタイプのリーダーを育てることが必要です。奉仕と献身という精神の鍛錬を経て、この国の歴史から過去を学び、そこから現在と未来に適切に対応することのできるリ-ダー、自国の伝統と文化を理解し、大切にすることのできるリーダーが必要です。
教育とは物質の法則と性質について教えることですが、同時にそれは人間性とその法則の理解を通して行なわれ、判断力を育てるものでなければなりません。人間としての優しさ、隣人愛、兄弟愛を、普遍的に人類全体に抱かせるような教えなくしては、教育というものはありえません。また真の人間性と社会性質の深く広範な理解なくしては、教育というものはありえません。同時に教育は、日常生活に役立つものであるべきです。規律ある、あらゆる面でバランスの取れた人生を生きることが出来るように、子供たちを育てるべきです。そうすることによってのみ、子供たちを、そして社会を破滅から救うことができるのです。





ジャンル:暮らし
タグ:子育て・教育

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No,1主婦さん[2011-09-23 22:43:01]
あなたみたいな人がいるから教育ってよくならないんですね☆

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