アイデアミーファンさん[2011-10-06 13:27:05]
アメリカの研究者の質問に対して「病気になる時は必ずその原因があるのさ。それからそいつは他のことの原因にもなるんだ。何にだって代償ってものがあるさね。何かの代償として払わなきゃならんのが病気ってことだってある。そんなわけでだ、わしらが病人を治療する時はだ、まずそのことを長い時は三日三晩かけて考えることがあるんだ。もしもだな、そういうことになっとらんのにその人の病気やら苦しみやらを取っちまうとするとだ、その人が将来背負うことになる荷物がもっともっと大きくなるかもしれんのだ。本人は気付かんでも病人の魂はそのことを知っとるのさ」
ローリングサンダーの言葉(北アメリカの霊的治療師)
「物事は心にもとずき、心を主とし心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行なったりしたならば、苦しみはその人に付き従う、車を引く牛の足跡に車輪が付いていくように。物事は心にもとずき、心を主とし心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行なったりしたならば、福楽はその人に付き従う。影がその体から離れないように」ブッダの言葉
「その報いは私には来ないだろうと思って善を軽んずるな。水も一滴ずつでもしたたり落ちるならば水瓶でも満たされるのである。善人は少しずつでも水を集めるように善を積むならば、やがて福徳に満たされる。その報いは私には来ないだろうと思って悪を軽んずるな。水も一滴ずつでもしたたり落ちるならば水瓶でも満たされるのである。悪人は少しずつでも水を集めるように悪を積むならば、やがて災いに満たされる」ブッダの言葉
「人が何をしてもその結果を見る。善い事をした人は善い結果を見、悪い事をした人は悪い結果を見る」ブッダの言葉
「善い事はしたほうがよい、やって後に悔いがない。悪い事はしないほうがよい、すれば後に悔いる」ブッダの言葉
「しぼりたての牛乳がすぐにバター、チーズにならないように、人の行為の善悪もすぐに結果は現れない。善は熟した時に幸いになり、悪は熟した時に災いになる」ブッダの言葉
「白鳥は白くなるために体を洗う必要はない。あなたも、あなた自身であること意外に何もする必要はない」老子の言葉
「あなたが何も持っていないとき、あなたは多くのものを与えることができます」マザーテレサの言葉
入院中の親友に対して「お前が病気になったのは理由があるんだよ。心の中をたくさんの考えが通ったからさ。そうした考えが心の中を通る時はなんでもないようだが、後で必ず体が痛んでくる。私は何度も見たよ。船が川を横切る時、はじめは何でもないようだったが、おー神様、横切った時にできた波で土手の土がドボーン、ドボーンと崩れていった」ラーマクリシュナ、パラマハンサの言葉
「一般に人は良い事は人に見られたいと思い、悪いことは人に見られたくないと思う。こういう心持ちだとそれは神仏の願いと合致しないのであるから、その家には福が来ないのである。しかし、良い事を人に隠れて行い、悪いことを人前で謝るなら、それは神仏の願いと合致するのであるから、その家には将来、福が来るのである」道元禅師の言葉
「中国では家族の誰かが良い事をすると、その家の誰かに良い事が起こり、家族の誰かが悪いことをすると、その家の誰かに悪いことが起こるとされる。もし家族の誰かが悪いことを言ったり、したりしていたら不幸の基だと思って止めさせましょう」NHKラジオで中野考次さんの言葉
「普通、病気にかかったり、感情的な苦しみがあったり、経済的に困っていたり、あるいは事故死や災害による被害に見舞われるといった、人生での苦しみの起こる時期というのは、その人の星回りに表れています。惑星の影響が変わる時期にいる人の多くは、本人かその妻(夫)や子供、あるいは近親者が事故に遭うか、ひどい時には事故死してしまいます。時には事故ではなくて、不治の病に侵されることもあります。このような悲運を避けるには、自分の好きな神仏の御名を毎日繰り返し唱えたり、祈ったり、社会奉仕を一生懸命に実行したりすることで私たちを縛っている運命の縄を断ち切ることができるのです。でも、それほどの星の影響を受けていて、自分は何の痛みも感じないで状況を逆転させることはできません。ちょっとした悲しみは受けなければなりません。例えば、ココナッツの大木が自分の上に落ちてくるという運命にある人がいるとします。そこで、その人がそれを回避するために唱名や祈り、慈善行為を一生懸命に実行しますと、大木の代わりに小さなココナッツの実が落ちてきます。そういうかたちで回避されるのです。もちろん、その人が真心を込めて祈り、愛を込めて奉仕行をしたからこそ、そういうかたちで運命が動いたわけで、心がこもっていなければ何にもなりません。それができるということは、その人の心がそれだけ他者に対して慈悲の気持ちを持てるようになったということで、それはその人が成長したことにほかなりません。そうすると、その心のレベルにふさわしい運命にと、それまでの星回りを超えるかたちで転換するのです。死ぬ運命にある人の代わりに、かわいがっていたペットが死ぬということもあります。その人その人によって何がその大きな苦難の身代わりになるかは異なっていますが、どちらにしても、その小さなものが失われていく過程で、その人はとても重要な勉強をさせてもらえます。そうして成長することができるのです。小さな苦しみは受けなければなりません。けれども、祈りと唱名、奉仕行によって、受ける苦難を最小限にすることができます。こんなふうに説明することもできます。あなたが外科手術を受けたとします。そうしますと、メスで体を切り開かれるとき、痛いですね。でも患部に麻酔がかけられていれば、その痛みは感じないですみます。肉体のほうはメスで切り裂かれなければなりませんが、麻酔をかけられていればその痛みは受けなくてすむ、回避されるわけです。体を切り開かれるのですから、麻酔をかけられるかどうかで全然違ってきます。同様に私たちは確かにある程度は過去からの影響を受けざるをえません。それは自分が行なったことなのですから。けれども償いの努力をすることで苦難からある程度自由になれるのです。節制というのは運命を変えようとするとき、たいへん重要な要素です。それはある特定の日に断食するとか、沈黙するとか、そういったことです。それをしっかりと実行した人にはポジティブな変化が起こりました。まったく実行しなかった人は残念ながら運命を逃れることができませんでした。そういう結果をたくさん見てきましたので、真の節制の大切さをあらためて実感できます。真の節制をしさえすれば、苦難をうまく軽減できるのです。過去に自分が犯してきたことの結果は、たしかに今の人生のなかに現れてきます。過去の行為に今の自分が逆襲されるわけです。けれども、内なる神を頼ることで、そして真摯な心でそれを回避するにふさわしい努力をすることで、運命の悲しみを防ぐことができるのです。私たちがどんな宿命をもっていようと、内なる神への全託の態度をもって、やるべきことを実行することで乗り越えることができます。けれども、ただどこかに座り込んで何もしないで、自分の宿命を非難し、ののしっているだけでは何も変わりません。それは怠惰にほかなりません。そんなことをしている暇があったら、そのかわりに行動することです」アマチの言葉
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No,1節約家さん[2011-10-06 14:43:09]
臆病な犬は良く吠える
No,2子育てママさん[2011-10-06 21:40:21]
私が一番印象に残っている言葉は、
「あなたが生まれたとき、あなたは泣いて周りはみんな笑顔になりました。
あなたが死んだとき、周りはみんな泣くでしょう。
だからあなたは笑っていなさい」
と言う言葉ですね。
No,3匿名さん[2011-10-07 13:36:41]
神様仏様は人に克服できない苦難を与えることはない、
どんな苦難でも乗り越えることができるのだ、
という言葉がいつも私を支えてくれてます。
No,4起業家さん[2011-10-10 17:26:15]
『心を変えれば態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。』
ということばです。
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