匿名さん[2011-12-17 15:07:30]
将棋で棋士が初手から終局まで並べられるのは、絶対音感と似た感覚があるからだと思います。囲碁の棋士も碁は並べられても将棋は並ばないのでは?音楽家も音符は並んでも囲碁将棋を並べるのは難しいのでは?人間はある一つの分野において一人前になれても、他の分野では半人前にならざるを得ないのかもしれません。なので、幼少期から一つに特化した技能を磨くべきだと思いますし、そう仕向けてあげたほうが、子供の将来を考えた場合、得策だと思います。ある一つの分野で合点が行くと、他の分野のエキスパートとも会話が弾むのを端で見ていると、やはりそうなのだなと思います。一事に通じる者は万事に通ずで。魂の奥底まで感覚が浸透していると、音も言葉も一手も力を持つと思いますが、浅いレベル、心のレベルだと、浅いので、魂まで届かないため、ハートに響かないのだと思います。なので、その音なり言葉なり一手が最善になるまで、親は子に修練を積ませるべきだと思いますし、手を抜いて甘やかしてはいけないと思います。魂まで届いているかは第三者が聴いたり見たりした時に素直に感動できるかできないかで判ると思います。やはり高い次元から降ろしたと思われる言葉なり音は飽きないですし、何度もリフレインしたくなるのに対し、修練の浅い文筆家の言葉、修練の浅い音楽家の音は、それほど感動を与えないのだと思います。売れる曲は魂まで修練を浸透させた者が創っており、売れない曲は心の壁を突破できていないか、その修練が魂まで届くレベルに達していないのだと思います。浅い心のレベルを、ノイズ混じりのAMの短波だとすると、深い寂静が支配する魂のレベルはFMの電波のようなものかもしれません。浅深で質に違いが出るというか。
仕事に深さを求めるべく一意専心するのはやはり美徳だと思います。国はそうした者をバックアップすべきだと思いますが、日本は知育以外はまだ奨励する感覚がなく、適材を適所で働かせられないという不の面があると思います。生活保護を受けている方々が大勢いるそうですが、現代教育の歪が雇用面に現れたとも言えると思います。家庭内教育に恵まれなかったなら、学校が早期にその受け皿となり、その子に合った形で個々の特性に応じた技能習得に取り組ませていれば、回避できた問題だと思います。時間割はクラブ活動や部活の時間を将来への投資に充てれば良いと思います。才能の育成は個人が自己統制と規律にもとずき取り組むのが理想ですが、子供にそれを要求するのは無理でしょう。やはり大人が選択肢を沢山与えてあげて、その中から自分にとって最善と思うものを選ばせるのが良いかと思います。今、中央から地方へという流れが起きているそうですが、教育についても地域独自の取り組みがあっていいと思います。退職した専門職のエキスパートに学校まで教えに来てもらったり。単色で塗りつぶす形の教育では、子供の段階で辟易して、さらに大人になって就職難と、二重の厳苦が待っていると思うので。
ジャンル:子育て・教育
タグ:子育て・教育
No,1起業家さん[2012-02-28 14:08:52]
人間の脳は、一定の年齢を超えるまでに、能力を獲得しなければ、
その後は、どんなに努力しても、けっして同じレベルでは獲得できない
時期があります。
この年齢を「臨界期」といいます。
(1)言語脳
ネイティブランゲージは八歳の誕生日までに確立しますので、
母国語臨界期は8歳といわれています。
その後でも、新しい言語を覚えられないわけではないが、
ネイティブと同じようにはならない、ということです。
(2)絶対音感
3歳~5歳くらいの間に訓練すると、絶対音感が身につくといわれて
います。 おそくとも、7歳から8歳のトレーニングです。
その後は、相対音感にしかなりません。
3)囲碁将棋
囲碁将棋においても、子供からトレーニングする必要性も
「臨界期」から説明できます。
超一流プロになるには、5,6歳からトレーニングを始める必要
がある。
しかし、それ以降に始めても、囲碁将棋が楽しめなくなるわけ
ではないし、ルールが理解できなくなるわけではない。
つまり「子供の頃に始めないと」プロレベルの感覚や直感が、
身につかないので、強いアマチュアにとどまるわけです。
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