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[新規] 道徳授業の教材に 良い行いと悪い行いの識別



匿名さん[2011-09-08 12:48:26]
質問者 なぜ悪い習慣や悪い行為は放棄されなければならないと言われているのでしょう。
老師  人間の身体の中に何かの傷があると考えてみてください。もしあなたが、それは身体のなかの小さな一部分にすぎないとして無視すれば、痛みが全身に拡がる原因になるでしょう。もし通常の治療がなされなければ、医師が来て、悪化した傷口をナイフで切り開き、化膿した部分を取り去らなければならないでしょう。もし切り取らなければ、それは悪化するばかりでしょう。そして、もし手術後に包帯をしなければ膿が出るでしょう。それと同じことが行為についてもいえるのです。悪い習慣と悪い行為は身体のなかの傷と
同じです。どの病気にも適切な治療法が与えられなければなりません。
質問者 良い習慣や良い行為はなぜ奨励されるべきものなのでしょうか。
老師  幸せな人生を望む人は誰でも善行を実践しなければなりません。誰でも自分の蒔いた種を刈り取ることになるのです。黄金の稲穂を刈り取るか、カラスのえんどうを刈り取るかは個々人それぞれの行為にかかっているのです。春に種を蒔かずして、どうして秋の収穫が得られるでしょうか。私たちが貴重であると見なす物事と、本当に貴重なものとの間には大きな隔たりがあります。この世における本当の富とは満足という富です。貪欲な人は最も不幸な人です。すべての人間の中で、彼こそが世界一惨めな人物です。私たちが注意を向ける物事と、本当に私たちが注意を向けなければならない物事との差は、私たちの個人的な貪欲さと無知とを測る物差しです。貪欲の言いなりになっていれば、決し、真の満足も心の安らぎも得ることはできません。この世で最も貧しい人は誰でしょう?それは最も多くの欲望を持っている人です。最も富める人は誰でしょう?それは最も深く満足している人です。一人の人間の、健康と、幸福と、安らぎと、あらゆる人間関係、すなわち、一個人の福祉の全体は、その人の満足の度合いに依存しています。心配、悲しみ、不和、争い、ストレス、そして感情に走る傾向などは、人間の骨折りの成果を台なしにするものであり、ついには命そのものさえも奪ってしまうかもしれません。私たちは、満足という良い性質を養った後で初めて、人間としての生活を純粋なものにし、人生の目的である無私の愛に到達することができるのです。
質問者 どうして愛の道を歩まなければならないのでしょうか。
老師  これは植物の種がこう聞いているようなものです。「どうして土の中に入って芽を出し、成長しな
ければいけないの?」と。


ジャンル:暮らし
タグ:教育、道徳

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