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[既存] 京都のように近所のお坊さんも説法する



匿名さん[2011-11-12 14:56:23]
阪神淡路大震災の時、被災地を通りかかったお坊さんに、「供養してください」と、ある被災者がお願いしたら、「ここはうちの檀家じゃないから」と断られたそうです。自己の悟りを追求する小乗仏教(ヒーナヤーナ)ならまだしも、これが衆生救済を目的とする大乗仏教(マハーヤーナ)だったら問題です。檀家制度がこうした現状を生むなら、早急な見直しが必要だと思います。私の家の近くにもお坊さんがいますが、講話などを聴いたことがありません。浄土宗のお寺ですが、浄土宗は大乗仏教系なので、せめて月に一度でも講話を聞かせてもらいたかったです。聖賢と言われる各宗教の開祖たちの特徴は、孤独で修行しているという点です。仏教の開祖である仏陀も一人でしたし、仏陀と同時代のジャイナ教の開祖マハーヴィーラは13年かけて悟りに到達。キリスト教の開祖イエスも16歳で当時の隊商とともにインドに向かい、ヒマラヤ山中で17年かけて不二一元(アドヴァイタ)の境地に到達したそうです。イスラム教のモハメッドはモーセと同じシナイ山で瞑想し、アドヴァイタに到達。空海も室戸岬で、道元も中国の山中でそれぞれアドヴァイタの境地に到達したようです。こうして見ると、悟るには孤独に耐えて感覚を内に向け、心の平安、自己抑制、堅忍不抜で挑むという四つの態度がいることが分かります。もう一つ思うのは各宗教の信徒の進歩を阻んでいるのが、以外にも開祖自身に信仰をアウトソーイングすることによる怠惰ではないかという点です。開祖が壁になっているというか。例えばイエスは自身の栄光を語らず、ひたすら天におられる父に栄光を帰しましたが、キリスト教徒はイエスの範に従わず、イエスが嫌ったイエス自身への信仰を説いています。空海も大日如来と呼び名は違えど天なる父に栄光を帰していましたし、モハメッドもアッラーに全幅の信頼を置いていたと思います。開祖が壁になることもあるのではないかというのが実感です。それと昔は法身の道場たる高野山や永平寺は女人禁制だったはずなので、昔の伝統に帰ったほうがいいと思います。女と金が雲霧になって悟ることができないのではないかと思うので。海外でも女子修道院は男子禁制ですよね。



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タグ:災害・復興・生活

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No,1匿名さん[2011-11-12 20:37:04]
教会では神父さんが礼拝のときに話をしてくれるようですね。
前に住んでいた家の近所のお寺では、誰でも参加できる説法や写経などが月に1度開催されていました。
また、毎月の行事などを知らせ、参加を呼びかける寺もありましたね。

No,2名無しさん[2011-11-14 21:18:20]
お坊さんの説法って、葬儀でもない限り聞かないですね。
宿坊に泊ると聞けると聞いたことがあります。
ためになることが多いですから、活用したいですよね。

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